許してくれたんだね お父さん

 

2006年3月29日
医師国家試験の合格者一覧に

自分の名前があった



智子は心の中で

そっとささやいた

医者になること 許してくれたんだね
  お父さん

智子の父・利郎は
1999年夏
44歳の若さで
自ら命を絶った
生前
娘が医師になることには
大反対だった

小児科の医師利郎は
勤続二十年近いキャリアで

責任感が強く
陽気な性格だった

地元では
少年サッカーチームのコーチを務め
スポーツマンとしても知られていた

利郎の長女・智子は
高校3年生だった
進路の選択をせまられていた

医師にだけはなるな
父・利郎は
智子の進路希望に
激しく反対した

大学医学部の願書は
二つに裂かれ
ゴミ箱に捨てられていた

もともと明るい性格の医師・利郎が
なぜ 勤務先の病院屋上から飛び降りた?
医師って
人に尊敬もされ、感謝もされる職業なのに
なぜ 娘にやらせたくない?

1999年春
小児科の責任者になった利郎
時を同じくして同僚が退職
産休の女性医師の後任もみつからず
利郎に大きな負担がのしかかった

3月には8回も当直をこなした
その後も
昼夜連続の激務が続いた

帰宅すると
疲労困憊(こんぱい)
ぐったりしていた
好きなサッカーの話にさえ
興味を示さなくなった

診療報酬が低く
採算のとれない小児科から
撤退する病院が相次いでいた
少ないスタッフと
深夜や休日の時間外労働で疲れきった医師たちが

現場を去っていった
その中に利郎医師もいた
現場から去ったのみならず
この地上をも後にしてしまった

「少子化と経営効率のはざまで
そういう題の
宛名のない遺書

経済大国日本の首都でおこなわれている
 あまりにも貧弱な小児医療
 不十分な人員と
 陳腐(ちんぷ)化した
 古ぼけた設備のもとでの
 その場しのぎの 救急・災害医療
 この閉塞感(へいそくかん)の中で
 私には
 医師という職業を続けていく
 気力も体力も
 ありません

あぁ、やさしい心の持ち主は
    いつでもどこでも
    われにもあらず受難者となる
     とうたった詩人のいうとおり
医師・利郎は受難者となった

そして かわいい娘には受難者の道を歩ませたくなかった

 父が「なるな!」といった
 医師という職業
 それでも 智子は医学部へ進んだ
 医師になる夢は捨てられなかった
 
父の死にかかわる一切のことは
考えないことにした
 なぜ死んだのだろう?
 なぜ自ら死を選ばなければならなかったのだろう?
そういう問に向き合うことはあまりにつらく
そのことは問ううことも 考えることもしないようにした
父の死に向き合う自信がなかった

でも 
医学部の学年が進んで
父の死と向き合うようになった
生と死って 医学が 医師が 取り組む問題だもの

「先生に子どもの命を救ってもらったのに・・・」
そんな手紙をよこす母親もいた
子どもを父に診(み)てもらった母親たちの話も聞いた
だれもが父の早すぎる死を惜しんでいた

入院はできるだけさせない
 患者(子ども)や親の話にじっくり耳を傾ける
医師としての
父のやり方、流儀も見えてきた

あなたの子どもの命を
 疲れきった小児科医にまかせますか

母のり子は小児医療の改善を訴える声をあげた

2004年4月2日 JR渋谷駅前
署名を求める人々の中に
智子の姿もあった

「お願いします!
最初は気後れしたが
気が付くとだれよりも声をふりしぼっていた

小児科医療の中で父は死なねばならなかった

医師たちの過酷な勤務でかろうじて支えられている小児科医療
自分がその中に入っていく不安は大きい
でも
父の思いのこもった重いバトン
バトンタッチされたよ お父さん
医師国家試験に合格したんだもの

お父さん
 医者になること 許してくれたんだね

4月から
神奈川県内の病院で
研修がはじまる

 楽な道ではないでしょうけれど
 進んでいこうと思っています
 父もきっと
 見守っていてくれるはず

智子は父から受け取ったバトンを持って
重いバトンも気にせずに
走り出した

満面に笑みをたたえながら

『小児科医になる』〜父の自殺から7年 
「見守ってくれるはず」〜(2006年4月
3日付東京新聞朝刊)でとりあげられた、
千葉(旧姓中原)智子さんの実話に取材
して「詩」にしてみました。「おはな詩」
のジャンルに入れたいと思います。
(詩の中では敬称略)


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