ジム・アボットについて
アボットは六歳のころ、父親に勧められて野球を始めました。
こどもの頃は遊び友達が辛くあたることもしばしばだったようですが、「大リーガーになりたい!」という夢をあきらめることなく、不屈の闘志で精進し続けました。
両親はそんなアボット選手を「努力しろ!」と勇気づけ、挫けそうになるアボット少年を励まし続けました。
アボット選手はミシガン大学に奨学生として入学し、3シーズンで28勝3敗という好成績を挙げ、アマチュア選手の最高の栄誉・サリバン賞を受賞しました。
学生時代のアボット選手は「自分の夢はソウルオリンピックに出場すること。そして、世界中の障害者に勇気をもってもらうこと」と言っていました。
1988年のソウルオリンピックでは、アボットがアメリカチームのエースとしてマウンドに立ちました。投球のすぐ後にグラブを右手から左手に素早く持ち替える”アボットスイッチ”は世界中の人々を驚かせました。
決勝戦では日本代表チームと戦い、ヘッドスライディングでゴロを捌くなど、闘志あふれるプレーにより、チームに金メダルをもたらしました。
試合の後、アボット選手は次のように語りました。
「障害は努力で克服出来ます。<ベストを尽くせ!>という言葉を贈りたい」
ソウルオリンピックの年、米国大リーグのドラフトでカリフォルニアエンゼルスより一位指名され、アボット投手の「大リーガーになりたい!」という少年の時からの夢はついに実現したのです。
それだけではなく、オープン戦で素晴しい成績を納めたアボットは、いきなり大リーグで先発起用され、史上15人目のマイナーリーグを知らないルーキーとなったのです。
その時の記者会見でアボットは次のように語りました。
「右手について聞かれるのはそう悪いことではありません。私がどうやってプレーするかをマスコミに話すことによってハンディーを持つ人々の支えになり、励みにもなっていると思っていますから」
(メジャー先発について聞かれ)「緊張している」と答えながらも、「これは一つのゴール。もし上手く行かなくても世界が終わるわけではないし、まだまだチャンスはある!」と語っていました。
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