ビクトール・エミール・フランクルの言葉

「強制収容所の生のような、
仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべき機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。」

 「行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではないおよそ生きることに意味があるとすれば、苦しむことにも意味はあるはずだ。苦しむこともまた生の一部なら、死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は完全なものになるのだ。

「ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめて厳しい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。

 勇敢でプライドを保ち、無私の精神を持ち続けたか、あるいは熾烈を極めた保身のための戦いの中に人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地でいく群の一匹となり果てたか、苦渋に満ちた状況と厳しい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして『苦渋に値』したか、しなかったか。」

「それはなにも強制収容所にはかぎらない
人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。」


『夜と霧』 新版より

なんのために生きているんだろう? 生きる意味ってなんだろう? INDEX


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