なんのために生きているのだろう? 生きる意味ってなんだろう?
このようなことを考えたことがあるでしょうか?
思春期だとか若いときだとかには、ほとんどの人がおそらくはこういう疑問をもったことと思います。
この疑問の故でしょうか親に「なんで生んだんだ」と毒づいた人もいるでしょう。
老境にさしかかった人も、自分の来し方行く末(こしかたゆくすえ=過去と未来)を考え、なんのために生きているのだろう? 生きる意味ってなんだろう? と考えるかもしれません。
病気で死の恐怖と戦っている人、苦痛にあえいでいる人なども、この疑問にとらわれるかもしれません。リストラされて(失業して)あらたな職がなく悶々としている人、深刻な人間関係の中で苦しんでいる人なども、またしかりでしょう。こんなに苦しいのならもう死んでしまいたい、と思うこともあるでしょう。
あなたが子ども、思春期の人、学校に通う学生などであれば、こんな質問を身近な大人や教師にぶつけたら「そんなことを考える暇があったら単語のひとつも覚えろ!」とか、「つまらんことを考えていないで勉強しろ」とか言われてしまうかもしれません。(そういう体験のある人は結構多いようです)。
老境にさしかかり、ふと我が身をふりかえって、なんのために生きているのだろう? 生きる意味ってなんだろう? と思っても、いい大人がそんな青臭いこと人に聞けないよ、と思うでしょうか。
現在いろいろなことで苦しみの真っ最中にある人は、とにかくこの苦しみをはやく逃れたいという一心でしょう。そして苦しみの中で、自分はなんのために生きているのだろう? 生きる意味なんてあるのだろうか? と呻(うめ)き声をあげるかもしれませんね。
いつのまにか「自分が生きている意味」について考えることを忘れて(忘れさせられて)しまった人もいるでしょう。でも、心の奥深く、その問は生き続けていて、それを自分なりに解決していかないことが悩みのもとになっているというのも、真実でしょう。
「生きる意味」を真剣に考えた結果、自分なりの結論をだして探求を終えてしまった人も多いでしょう。
自分なりの結論とは、たとえば次のようなものです。
「人間も究極的には単なる物質に過ぎない。したがって、自分の人生に格別意味はない」
「誰もがいずれは死んでしまうのだから、人生に特に意味はない」
「それぞれの人は、それぞれの価値観をもっていて、そのどれもで絶対的に正しいものなんてないのだから、人生に絶対的な意味などいない」
「自分の人生は自分のものだから、自分の思い通りに生きればいい。自分が楽めて、自分が充実している感じがするように生きればいいので、そのように生きることが人生の意味だ。もちろん、人に迷惑をかけるのはいけないけどね」
「自分の生きていることに意味をみいだしたい」と、多くの人は思っているでしょう。最初からニヒルに「人生に意味はない」と言いたいわけではないでしょう。自分で「立派に生きている」と、人は思いたいものです。
でも、考えてみると、たいして意味もなさそうだな〜って思えるし、上に述べたような「結論」に接すると、そうだそうだと思えて、そのどれかを採用した?
若い人だったら、人生の意味を考えると暗くなるし、(まして友達に話したらネクラなやつと思われてしまいそうだし)、とりあえずそんな深刻なことは考えないで楽しく生きればいいかって思ったかもしれませんね。
なんのために生きているのだろう? 生きる意味ってなんだろう?
こんなページをのぞいてくれたあなたに、とりあえずひとつの言葉(フレーズ)と一編の詩をお送りします。
この世のどこかに、あなたのことをほんとうに必要としている「何か」があり、あなたのことをほんとうに必要としている「誰か」が必ずいる。そして、その「何か」や「誰か」のために、あなたにもできることがある。
Somewhere in the world, there's something that really needs you, there's someone who literally needs you. And there's something you could do for the "something" or "someone".(英訳:中村叶)
アウシュビッツの生き地獄の中で「人間の卑小さと崇高さ」の両方を見、その地獄にあっても希望を捨てずに生き抜いたVictor Emil Frankl(ビクトール・エミール・フランクル)のこの言葉を味わっていただきたいと思います。
♪ あぁ〜、地球のどこかに〜
あなたを〜 待ってる〜 ひとがいる〜
(『いい日旅立ち』より、一部改変)
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